セイシェル旅行記 その8
「ちょっとトイレ探してくる」――――。
旅のなかで、脂汗をかく、誰も知りえない、わけありの、自分だけの、「小旅行」はつきものだ。
私にだって数々の失敗・・・・・思い出がある・・・・・・・。
ちょっと回想モードスイッチオンである。
―――――フンッだっ♪シアワセ運ぶ、不運の旅のフンだっ!
寒い冬だと、おなげきの皆様。
[まるくん’s HOUSE MUSIC CLUB]へ今宵もようこそ!カモナベイビィ~~、
ココロの隙間風邪を埋めようぜっ!
♪ズンチャ、スッチャカ、ズンチャチャ♪
アタシ、唐突ですが、寒い風吹いても足痛くならない(笑)、体質上の問題ありますの。
コレステロールも「食いしん坊」のリンク見てのとおり、全国あまたの、さんざ煌めくフランス、イタリア料理、とんかつ屋、洋食めぐり、ばかりざましょ?「お見合いプロフ」にあるとおり銀座でプロレスラーのおじさまと飲み比べしても負けない体質でしょ?
でもね、・・・たぶん「風が吹けば桶屋が儲かる病」(ちょっと違いまして?)にはならないんですの。
それはね・・・・・。
【尿が妙に近いんですの。】これ、禅問答じゃなくってよ。
それは♪マドリッドの夜でした。
ちょっくら数軒、セルベッテリア(ビヤー飲むところね♪)寄っただけ、嗚呼なんども梯子。
もぅひとつの梯子はお手洗い。マヨール広場でセレナーデに乗ってナンパして、向うはプラザ前のディスコ、夜道にがまんできず、ちょっと彼女待たせて駆け出し、塀にする。そこは暗闇安心のはずが、市庁舎前。
ジャァーーーー♪の音に慌てて駆けつけてきた門衛につるし上げられる・・・・・・。
それは♪ピサからの「太陽の道」高速道路でフィレンツェへ向う路線バスでした。
お昼にキャンティ5本ばかし飲みました。
ひとりで。え?
当たり前けど、何度も何度も店で放出。店をでてからも「ピサの斜塔」見ることすらなくトイレ見学。
でも、ついにバスでもバス・ストップ♪
高速道路の路肩、窓から日本人、ドイツ人、スエーデン人のフラッシュたくさん。
写真入りの年賀状、25の春~~~。
放出あるなら、フンもある♪
それは♪チューリヒ駅の構内でした。
バーで朝から生ハムサンドにラム酒。
プラットホームで突然変異。慌てるも、駅にトイレの表示なし。始発の汽車に乗り込んで、安堵のため息一つ、汽笛が二つ。
動いた汽車は向う予定のインターラーケン、ではなくて、反対方向ルツエルン向います。
車掌に問えば、特急ノン・ストップ・・・・・・。
それは♪白馬岳の登山口でした。猿倉から勇ましく雪渓めざします。で、突然、糸魚川あたりで飲みダメしたウイスキーとおにぎり、カップラーメン、で突然変異。
慌ててポーチ持って茂みへゴー。
紙拭き、リュックのなかでしたぁ・・・・・・・。
機転利かせて木立の葉っぱ。
なんと、それはハゼでした。悶絶する白馬の夜。
ゆえに、深夜、校歌叫ぶ慶応ボーイと大ゲンカ(笑)
それは♪フランクフルト、ゲーテの家の近くの公園でした。フランクフルトの屋台とビールで盛り上がる謝肉祭。沿道の人、笑います。
なんでかな?でもコンカイ安心。異変はきません。
女子高生のブラスバンドにステップ、ステップ足ふみふみ、ココロウキウキ。
で、その足元にずっと犬のフン・・・・。
それは♪都立目黒自然研究所公園の昼どきでした。
近くのおしゃれな蕎麦屋でデート。
焼き鳥、鶏ワサ、じゃんじゃん日本酒。
でも、公園デート、トイレ多いからばっちり。
足元みすえて同じ轍踏まず(笑)
「君の瞳に吸い込まれそう。あまり見つめないで」に彼女大笑い。
人数少なくカルガモ反応。
ハトも飛び立つ。まだ笑いころげる彼女に真顔で問えば、「アタマ、あたま・・(笑)」
お気に入りのゴルチェの黒綿帽子に鳩のフン。
♪犬もあるけばフンにあたる。
旅のココロはフンのフン。
チチンプイプイ、フンのフン。
コロコロ、アタシはフン踏むフンコロガシ。
旅のお供に、アタシをお一つ、いかが? (2002年「まるくんの旅は青空」より)
―――――そんな経験、大小の違いはあれども、誰にでも経験あること。
え?ないですか?
でも、ハニー、それはそれであなた、今、今のタイミングじゃないだろ?
ずっとフェリーに乗っていたのに・・・・・・そこにトイレはあるはずなのに・・・・・・・(涙)
しばらくハニーが消えた。
神隠しにあったかのように消えた。
「紙隠し」の、間違いか?(爆)
フェリーで降りて、ごった返していた港からあっという間にひとは散っていた。
港の近くにある売店や小さなファーストフード屋にも人気がない。
客のいない、カートを引く牛までもが退屈そうにしていた。
オープンデッキのペンションのようなハウスの前、排水溝らしき掘られた溝にピクリとも動かない2匹の犬がいて、死んでるのか寝ているのかを固唾を呑んで見守っていた。
すると、なんとその家からハニーが現れた。
「ごめんごめん。お店のひとにトイレどこって聞いたら、鍵を見せられて「1ユーロ」って言うからドルしかないので、そこの前の売店で両替してもらって、ようやく鍵もらったんだけど、今度は開かんのよ。結局お客用でなくてお店のひと用のトイレ貸してもらうことになった」
「あのなぁ・・・・・。下手な漫才みたいにヘチャコチャもうええわ!急ぐんぞ!」
マヘ島で渡された一日レンタル券2枚を自転車屋に渡す。
勝手に乗り心地よさそうな自転車を見繕っていると、大柄な従業員に座椅子のやけに低いボロッちい自転車を強引に宛がわれた。
「あんたは、これっ!」みたいに。
やれやれ、こんな辺鄙なとこでまで東洋人はバカにされないといけないのかいな。
「もうええわ!さあ行くぞ!」
「ごめん。私のギア変則きかん。替えてもらう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
お兄さんに診てもらった自転車は、どうやら交換の必要はないらしくちょっとした要領で入れ直しただけで直ぐにオオーケィのようだった。
海岸線に沿って一本の石畳の道、ここをまっすぐ行けば、めざすアンス・スール・ジャルダンだ。
さあ、気を取り直してゴー!!
出発してすぐに私の自転車のチェーンがはずれた・・・・・。
今度は、とっくに先を行ってしまったハニーを待ちぼうけだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
もう泣きたいわん。
私が来ないのにようやく気づき舞い戻ってきたハニーに直してもらう有様。
「ギア入らんのぞ。なんでこんなボロ渡すんかいなっ!(怒)」
「ギア?入れ間違えだろ?ここをおもいっきりガシャンと力入れないかんのよ」
「え?そうなん?ダイヤルまわすだけではいかんの?マウンテンバイクなんか使うたことないもん」
「なんでよっ!!家に○○○のがあるだろ?触ったこともないんだろ?!」
港からまだわずか200メートル、瞬く間に立場が逆転してしまったようなんですけど。
ここはとやかく言わずに先を急ぎましょうよ(涙)。
計画では、9時にラ・ディーグ港を出発、アンス・スール・ジャルダン散策を11時00分まで、そこからグラン・ダンスに向けて出発し、12時グラン・ダンス着、ビーチにて約2時間、帰りは14時、15時に港に到着、お土産屋を冷やかし15時30分のフェリーで帰路。
それが今もう10時30分である。
そして予定どおり、ガイドブックに書いてあった島唯一のスーパーマーケットに寄った。
ラ・ディーグ島には自炊専用のロッジもあるらしく、白人観光客らが食材を買い求めていた。
セイシェル製は乏しいようで、ほぼすべてが外国製品である。
缶詰類、パスタ、乾燥フード、スナック、オリーブ油、食器や洗剤、薬、日用品雑貨などなど。
思わぬ収穫は、そこそこ冷えたハイネケンがあったことだ。
これを3本とってレジに置く。
1本33セイシェル・ルピー、3本で99セイシェル・ルピーだ。
セイシェル・ルピーだと金銭感覚がいまひとつわからなかったが、店員にドルに換算してもらうと、電卓の数字はなんと14ドルの請求。
当時のレートで約1700円、思わぬ出費だ。
ハニーは菓子パンを5個も6個もレジに置いたが、想像よりあまりにも高い料金提示で、そもそもユーロはなく、ルピーも残りわずか、ドルの高額紙幣しか持ち合わせていないのであきらめたようだ。
そのかわり、グラン・ダンスからの帰り、1ドルと8セイシェル・ルピーという変則的な支払いにてフルーツジュース二人分を購入していた(笑)。
「なんでも高いなー。日本以上だなー」
メリディアン・バルバロイでは地元ビールのセイブリューが一杯4.5ユーロである。
当時の為替レートで1ユーロが約160円として720円。
その割には、ハニーが帰りのラ・ディーグ島の港近くの売店で買った1リットルのミネラルウォーターは1ドルで済んだらしい。
彼女はヘンテコな「買い方」女王でもある。
ときたまの外国でも、そして日本でも常に。
そんなこんなで、ここでも思わぬ時間を要した。
ひとりで先にスーパーマーケットを出る。
鍵がついてないので、島内で唯一の足であるレンタル自転車がちゃんとあるかどうかも心配だ。
それに、シュノーケルセットのカバンを自転車の後ろの籠に入れっぱなしのままだったはず。
背中のリュックサックに入る余地がない、シュノーケリングセットのカバンがやけに重くて邪魔くさい。
そのカバンが籠のなかに・・・・・・・。
「ない!!」
こんな素朴な小さな島でこそ泥か?・・・・・・・ありえるな。
気が動転し、焦りまくり、落ち込み、がっかりして、気力が失せたところで、ハニーを呼びに店に戻ると、入口の棚にあった。
置きっぱなしのままにしてたのを彼女が店内に持ち込んであったのだ。
大いに安堵である。
ビバ!ハニーに感謝だわ。
私の心はいつだってコロコロと忙しい・・・・・。
そして、咄嗟の判断は大抵が間違えだらけだ。
スーパーマーケットを後にして、海岸線を走る。
小さな造船所があった。
木製の漁船らしき船を数人の男たちで手造りだ。
造船所の側にはヘリポートがあり、マヘ島とラ・ディーグ島を結ぶヘリコプターがまさに飛び立とうとしている姿を見ることができた。
はやくもお昼近くになる。
澄んだ美しい音色の歌声が風に乗って届いてきた。
――昨日、マヘ島のヴィクトリアの植物園での光景と同じように――教会から賛美歌が聞こえてきたと思っていたら、そこはラ・ディーグ島唯一の学校だった。
学校の塀に沿って自転車を走らせ正門の前に行くと、校庭のような運動場で小さな子どもたちが歓声をあげて、元気に楽しそうにかけっこをしていた。
子どもたちの歓声や元気に動きまわる姿。
いつでもどこにあっても見続けなければならない光景がここにもある。
いつもどこでも守らなければならない夢そのものがある。
私たちはこれらの「夢」を信じて今日を生きているのだ。
とくに私は、そんな想いをますます強くして今を生きている。
自分(たち)は、ちっとも成長できないでいるのに。
そして、ふたりの旅路の出発の地であるエジプト・ギリシアの旅から15年。
15年経ても、ちっとも成長していないヘンテココンビな私たちに、セイシェルで新たな「夢」を授かることになる。
「夢」とは、「君」のことだ。
そう、「君」が、私、私たちの夢、そのものだ。
〇〇〇へ――――。
君は、これからの長い人生の旅路のなかで「あなたの夢はなに?」と聞かれることが一度や2度はあるかと思います。
「私の、僕の、夢はこんな夢」と言えるひともいるでしょう。
なかには、「私は夢に向かってこんな目標を立てている。こんな努力をしている」というひともいるかもしれません。
でも大抵は、「まだ先のことはわからない。今は夢ってとくにない」というひとが周りには多いことでしょう。
きっと、君もそうだと思います。
でも、今、私は夢についてこんなことを考えます。
夢ってたしかに難しい。
でも、夢という言葉を大切なもの・愛しい・希望・ひと・そして逆にはかないもの・失いやすいもの、こんな言葉に置き換えてみると、夢というのは決して将来や未来のことだけではないように考えるのです。
夢とは君やまわりのひとが、いつか何かになることや、何かを成し遂げることや、自分が何かに変わることだけではないのです。
君が生きている、生き抜いていこうとしている今も、まさに夢そのものなのです。
そして、私たちにとって夢とは今の、あるがままの君のことです。
私たちそのものが夢だと思うのです。
どうかあなたも、あなたのまわりのひとたちが夢の塊で、夢そのものでありつづけてください。
君と出会えて嬉しい。
とても嬉しい父さんは、そして、苦労に苦労したか母さんはもっと―――――。
―――――テンヤワンヤのなかのマヘ島、初日。
テンヤワンヤでありながらも、なんとかセイシェル初の夜の帳が下りてきた。
お風呂に入り、たくさんお酒を飲んで、ちょっとお話をして。
あとは、眠たくなる、一歩手前、を待つばかり――――。
「眠たくなるまでは待てないし・・・・・・・・」
――――――――――――。
「ちょっと!ちょっと!今何したん?もしものことがあったらどうするんよ!」
「え?あほか、そのもしも?のために!遠いセイシェル、わざわざここまできたんだろ」
「はぁ??なに言いよるんよ!意味わかっとん、あんた!?」
「明日は『二人だけの恋人岩!』のアンス・スール・ジャルダンに行くんぞ。綺麗な響きだろわ~」
「ますます、さっぱり意味わからん・・・・・・・」
果たして、私の「夢」はいかに―――――。
そして、夢にまでみたアンス・スール・ジャルダン。
そこは、信じられない光景だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
何が、遠浅の、透き通るような、ビーチで、シュノーケル、や!
「波が涙がドンブラコやん!」
セイシェルがこんなに荒波だとは想像つかなかった。
しかも、おまけにどうやら満ち潮らしい。
純白のビーチと謳われる浜辺はなく、海びたし?である。
これも情報をきちんと掴んでいなかったことが原因である。
あのドンブリコッコ、ドンブラコッコの波である。
おまけに海岸のそこら中にウジャウジャ花崗岩が乱立しているのである。
ふつうの海水浴すら無理なのだ。
「このシュノーケルセット捨てて帰ろか?」
先ほど、スーパーマーケットで自分勝手に涙の再会を果たしたはずなのに、いともあっさり、である。
「なんで、もったいないやん!まだ一回も使ってないのに!また使えるだろ?」
「使うってどこでよ?」
そうなのである。
このシュノーケルセット、まだ一度も使ってないのである。
実は2号さんである。
1号さんは、この夏、「買い物女王」ならぬ「買い方女王」ハニーが「安かったから」と、ジャスコで購入。
近県の「一の宮海水浴場」で初デビューだったのに、二女が持ち帰り忘れ、一回きりで見事に永遠のお別れ。
つまりは、結果的に高い買い物だったわけ。
そこで、今度は私が、「セイシェルでシュノーケル」を自らの合言葉に、出発2週間前、「楽天市場」のネットオークションで検索し、即決値段で購入、3800円なり。
その商品の送料が580円。
結果的に高い買い物だったわけ。
そして、ご大層にもスーツケースの4分の1の面積を占めパッキングに苦労しながら運んばれた期待のシュノーケル君。
結局、セイシェルで一回だけ使うことが適った。
結果、本当に高い買い物であった。
そのシュノーケルセット、出国1ケ月前に完成した苦労に苦労重ねリフォームされた我が家の納戸にこれまた大層な面積を占め、威張るように鎮座している。
さて、アンス・スール・ジャルダン―――岩から岩を渡ることもままならず、浜辺を迂回して進むこともできず、10分歩けば行き止まりになり、仕方なく来た道を折り返し、わずか30分の滞在となった。
「なにが恋人岩やんな。だ~れも岩陰に佇むことすらできんわ。この波では」
来た海岸線を戻り始めた波打ち際、誰かがハート型をした小さな花崗岩に沿って、砂地に打ち上げられた珊瑚石をかき集めてハート型を模っていた。
そのハートのなかに、ハニーの名前のイニシャルを、これまた珊瑚石で作ってみた。
直ぐに誰かに、イニシャルは変えられるのだろうな(笑)。
想像と全く違った「恋人岩」、残念無念であるが、グラン・ダンスへ急ぐことにした。
ココナツパームやエマニエル婦人の別荘(映画の撮影場所、実は、セイシェル歴代大統領のセカンドハウス)やゾウガメ公園もそこそこで自転車を走らす。
海から離れ、少し内陸部行くと、そこはもうジャングル。
海外旅行の記憶を辿ると、7年前に遡る。
中央アフリカ、カメルーンの熱帯性雨林と紛うことなき、これぞアフリカ!の風景が広がる。
人気サイトが本にまでなった、イルカさん著『それ行け!子連れ海外旅行』(主婦の友社)「セイシェル子連れ旅行記」ラ・ディーグ島編にはこう紹介されている。
「―――セイシェルで一番美しいと評判のビーチ、グラン・ダンスへは、島の南東に横たわる山を越えていき、この山越えロードを一度も自転車から降りずに漕いで登り切るのは、かなりの重労働だ。坂のこう配は、見た目にはそれほどきつくないが、左右にくねくねカーブしながら登ってゆく道がクセモノ。あの角を曲がったら峠だろう、と期待して自転車を漕ぐが、そこまで登るとその先にもまた同じように曲がりくねった坂道が続いてがっかりするのだ。も~限界、と途中から自転車をおりて押しながら登ることになる。
道のまわりはうっそうと繁るジャングル。民家などはなく通行人もいなければ車も走っていない。ただ薄暗い森のそこかしこから、鳥や虫たちの不思議な鳴き声が響いてくるだけ。
最後まで漕ぎ続けていたカイも、ついに観念して自転車を降りる。でも、そこからほんの少し登ったところが坂道のピーク、つまり峠のてっぺんだったので「あ~、あともうちょっとだったのに!」とくやしがる。
フッフッフ、人生とはそんなもんだよ。
あきらめが肝心と言うが、むしろあきらめどころを見極めることが重要だ。さっさと見切って省エネするか、行くならとことん最後まで行くか。まあもっともあきらめずにがんばった過程にこそ、大切な要素があると言えばそうですが―――」
著者によると、「自転車で片道約40分」とあった。
世界中を連れ回される、あ、いや、世界中を飛び回る、元気の塊のような子どもたちが漕ぐ自転車で、である。
ハニーという、色んな意味での「重荷」と一緒だと倍とまではいわないが1時間と計算していた。
なんとか1時間で着きたいと自転車を漕いでいくのだが、山に向う小さな峠をひとつ越えると、大きな波の音。
「え?大きな波の音?」
ということは、どうやらここがグラン・ダンス。
ハニーもちゃんとついて来た。
アンス・スール・ジャルダン側から一山越えて、こちらの海岸までたったの20分。
拍子抜けである。
山を下りきり、ジャングルを抜け、視界に広がった光景は、波飛沫。
相変わらずセイシェルのドンブラッコの波なのだ。
「―――峠を越えたら一転してビーチまでずーっと下り坂。ひゃぁ~、風が気持ちいいぃーー。でもうっかりしてるとものすごいスピードが出るので注意しよう。と言ってる間にも、こどもたちの姿はあっと言う間に見えなくなった。
坂を下ると道は未舗装になり、その先にビーチが見えてくる。汗をいっぱいかいて到達したビーチは、この世のものとは思えないほど鮮やかな色で煌めいていた―――」(同じく『それ行け!子連れ海外旅行』より)
いちいち、文章が描く情景と現実の光景が異なるのだ。
気象、気候、時期、いろんな条件が重なって海が表情を変えるのは理解できる。
しかし、お天気がよく、風もたいし吹いてないのに、こうも異なるものなのかと、絶句であり、がっかりである。
決定的に何が異なるのですか?誰にでもいいから食ってかかりたい気分だ、滅入る。
私たちは、その「ただ観賞用」グラン・ダンスの海岸線をトボトボ歩き、背の高い椰子の木が立つわずかな影の下に、息子の遠足リュックから拝借してきたケロケロケロッピのシートを広げ、座り込んだ。
遊泳禁止のビーチではあるが、観光客若しくは保養客らしき外国人数人が高い波に体を当てて、戯れていた。
なんだか、自虐的な遊びに見えた。
少しだけ真似してみたけど。
そして、さらに進化させて、波に逆らわず軽く浮かすように身を預けて、波の勢いで波打ち際まで遊泳だ。
人間サーフボードなのだ。
案外、面白くってはまった(笑)。
グラン・ダンスは「世界有数のホワイトビーチとしても名高く、訪れた人のみ知るひとぞ知るビーチ」、らしい。
セイシェルから帰国してしばらく、本屋で見つけた「世界のビーチ&リゾート(地球の歩き方MOMOK)ダイヤモンド社」にもグラン・ダンスは美しいカラー写真とともに大きく紹介されていた。
でも、実際は強調するほどの「純白の!」「サンドビーチ!」・・・・・ではない気がする。
サンゴや花崗岩が粉砕した砂浜だから、目を凝らせばどちらかというとピンクがかっている。
砂をかき集め、飲み物とは別に持参していた空のペットボトルに入れてお土産として持ち帰った。
いまでも、お宝部屋(他人によればガラクタ部屋)にて、各国のお土産・調達品のお仲間入りしている。やっぱり白ではなく、黄土がかったただの砂色だ。
というか、海水もかなり混じったままだったので、腐りかけているのか底のほうから黒く変色している。
憧れ恋焦がれたラ・ディークに来て、期待はずれも大きく、ケチばかりつけているな。
太陽がちょうど真上にあるため椰子の木陰は短く暑い日ざしがさす。
空は、太陽の光が反射してどす黒い群青色をしている。
再び、イルカさん著のグラン・ダンス。
「―――グラン・ダンスの光
グラン・ダンスは両側を屏風状の岩山に囲まれたビーチ。岩山の陰から、ジュラ紀の恐竜がぬぅ~と顔を出しても違和感を感じない雰囲気が漂っている。砂浜はかなり広くのんびりリラックスするには最高の場所だろう。グラン・ダンスがセイシェルで一番美しいビーチと言われている由縁は、その海の色。ソーダ水をとかしたような水の色は、始めて見た時は言葉を失うくらい鮮烈だった。どうしてこんな神がかった色になるのかわからないが、この地球上でのセイシェルの位置が、ここにしかない光の屈折率を生み出しているのではないだろうか?―――」
この文章をあらためて読み返してみて、はたと思い出したことがある。
やり残してきたことがあったのだ。
「恐竜をモデルにしてグラン・ダンスの風景を撮ろう」
一体の恐竜フィギアをセイシェル旅行に同行していた。
あれだけ暇だったグラン・ダンスで、それをすっかり忘れてしまっていていた。
私は、息子と共同所有でうなるほどの恐竜フィギアを持っている。
共同所有と言ってもそれはハニーへの口実で、3年かけて一気加勢に大人買いしてきた私が、「例のお宝部屋」にて保管している。
ここ2、3年の間、息子が熱中していたテレビやゲームの「古代王者・恐竜キング」と、私が幼い頃から好きな「動物フィギア」収集癖が講じた相乗効果で、あらゆる科学館、おもちゃ屋、楽天ショップにまで食指を伸ばし、恐竜フィギアだらけなのある。
その数、ざっと300体。
だが、「恐竜博士」をめざしていたはずの幼稚園年長の息子は、「恐竜キング」のテレビ放映が終わったとたん、「ウルトラマン怪獣バトル」に目移りしてしまった(笑)。
しめしめ、である。
完全に私のひとり占めに移行である。
その、数ある恐竜のフィギアのコレクションのなかから、セイシェル行きに厳選された栄えある一体、それは、「卵から生まれてこようとするティラノサウルスの赤ちゃん」であった。
「セイシェルで赤ちゃん」
私の心のなかで、今回の旅行のキーワードでもある。
あくまでも願掛けではなく(笑)、ひっかけ、洒落のつもりなのですがね(笑)。
これをリュックに入れてラ・ディーグに持参していた。
しかし、リュックに入れたままで、すっかりそれを忘れてしまっていたのだ。
リュックから取り出したのは、先ほどスーパーマーケットで買ったハイネケン3本と紙に包まれたスライスしたフランスパンのサンドイッチである。
正午もまわっていることだし、昼食タイムだ。
グラン・ダンスには山道を降りる一本道の海岸への突き当たりに一軒だけレストランがある。
実は、とあるサイトで見つけてそこで食事をとることも、出国前検討していた。
「――ついた先にちょうどレストランもあり、御飯を食べた。バイキング形式?なのか好きなものは好きなだけとった。(魚・ポーク・チキン・カレー・豆のスープ・トマトの味の野菜・ヤキソバ・米・パン・サラダ)などがあった。夜、おいしく食べたいから控えめに食べた(適量だったけど)カレーまじ絶品、具がたくさん入ってて、米もくさくないし全体的味がおいしかったよ。(でも値段は$55とちょっと高め。ここは食事もおいしいけど、生絞りマンゴージュースが絶品だった。)――」
とても上手な文章とは言えないけれど(笑)、旨さはストレートに伝わってくる。
でも、55ドルとは恐れ入った。
それはあんまりである(実はメリィデイアンの夕食ビュッフェの代金とほぼ同額!)。
銀座や丸の内辺りでさえ、そこそこのフレンチコースが食べられるほどの値段で、カレーや焼きそばのバイキングはないだろう。
でも、ラ・ディーグで食事時間を勘案すれば、選択肢は限られる。
そこで、昨夜、ホテルのビュッフェで無理やりサンドイッチを作り、テイクアウトすることにしていた。
このサンドイッチが特筆ものである。
メリディアン・バルバロイの夕食のビュッフェは毎晩趣向をこらしてテーマが変わっている。
それはいいのだが、昨晩は「インド」がテーマだった。
大好きなカレーが大皿に30種以上、色々並ぶのはよいのだが、明日のサイドイッチに関していえば、パンに挟む具材を探すのには一苦労した。
汁気のないものをと、らっきょうのようなピクルス系をひとつ選んだのだが、これがいざ口にしてみると大ハズレで、臭くて苦くてとても食えたシロモノでない。
他のサンドイッチ用に選んだ具も、未知との遭遇な味がした。
「旅の失敗のダメ出し」のような気分にさせられる大失敗だった。
これらの特製サンドウイッチを食べるというより無理やり口に押し込め、生ぬるく泡だらけに化したハイネケンを飲んだ。
ハニーはといえば、食欲があまりないようでサインドイッチを一切れくらい食べただけで、椰子の木の木陰で寝そべっていた。
瞬く間に白い肌の背中が真っ赤に日焼けしていた。
しょせん椰子の葉の影である(笑)。
ふたりがそれぞれグラン・ダンスですることはこのあたりでおしまい、だ。
これが、グラン・ダンスでの約2時間の思い出だ。
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